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【2019.11月号】大規模災害に備え、母子、高齢者、障がい者など災害弱者に優しい避難所を作ろう

 九州北部豪雨、さらに台風15号に続いて台風19号が東日本を襲った。今日の日本列島は、大規模地震災害のみでなく、毎年の大規模水害の脅威にさらされており、その被害の大規模性を目の当たりにするとき、個人の対応には限界があることを国民の誰しもが感じている。
 この間の被害に対する政府官庁の対応を注意深く見ているが、毎回毎回、お見舞い談話や「復旧に全力を尽くす」調の定番談話の域を出ていない。最大与党の幹事長の「まずまずには収まった」発言が批判を浴びたが、国民の生命と暮らしを守ることに冷淡であり続けた歴代の政権への国民の批判だと受け止めるべきである。
 最近の大規模災害で気がつくことは、事前に出される避難勧告・避難指示の対象人口が非常に大きいということである。これは10月19~20日にかけて開催された保団連の全国会長・理事長会議でも話題となった。場合によると数万人、首都圏に至っては数十万人の人口集団に、一斉に避難勧告が出されている。それだけの人口に対応した避難所があるかといえば、避難勧告を発した時点までにその備えが出来ていないという実態がある。そもそも高齢者には移動手段もなく、住民が自家用車で避難しようとすれば大渋滞に陥ることも明らかで、かつ避難所に駐車場があるかどうかもわからないのである。
 また、最も大事なことであるが、高齢者だけの世帯が都市部や農村部を問わず増加し、3軒に1軒が現実に移動弱者になっているという現実がある。情報もうまく伝わらず、孤立している災害弱者にどう対応すべきか、こうした難問こそ、自治体が住民と膝を突き合わせて事前に解決の道筋を示していくことが求められる。
 最近、防災研究者からは、わが国の防災・避難計画について重要な問題提起がなされている。日本は一歩先を行っているイタリアやアメリカの災害対策やそのシステム、成功例や失敗例からもっと学べということである。
 中でも重要と思われる視点が、わが国の住民の避難者支援が相変わらず「体育館生活」中心であることへの批判である。同じ地震頻発国であるイタリアでは、2009年の地震で約6万3千人が家を失ったときに、短時日で6人用の避難テント約6千張、3万6千人分が用意された。このテントは約10畳、電化されてエアコン付きで、バス・トイレのコンテナがついている。テント村には野外キッチンも用意され、温かい料理が供給された。テントを利用できないその他の人々はホテルでの避難を指示された。いずれの費用も公費である。
 何故、わが国の避難所が体育館での雑魚寝という、非人間的で劣悪な環境なのかといえば、国や自治体の基準が劣悪なままに置かれているということに他ならない。
 国際赤十字は避難者保護に対する個人の尊厳と人権保障の観点からの「スフィア基準」を定めているが、避難者には平等に援助を受ける権利が保障される、という根本原則が貫かれている。災害時に避難所を設置して心身の健康を確保することは、近代民主主義国家が履行すべき当然の義務なのである。
 わが国では2016年に内閣府が「避難所運営ガイドライン」をまとめたが、国の責任や被災住民の援助を求める権利があることには触れられていない不十分なものである。
 一刻も早い時期に抜本的な避難所運営の改善方策が必要である。特に母子や高齢者、障がい者に優しい避難所を作らなくてはならない。
 そうした誰もが安心して身を寄せられる避難所を設置する義務を立法化し、十分な予算を充てる算段を立てることこそ、ボーッとしている政治家の最低限の任務である。