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【2022.5月号】国民に「不安の老後」を迫る財政審の社会保障給付引き下げ論を打ち破ろう

 去る4月13日、財政審・財政制度分科会は、将来にわたって年金や医療・介護などへの社会保障給付費の引き下げなくして財政制度「改革」はなし、という基調の資料を公表した。
 こうした主張は、生涯にわたる自己責任を強調する「新自由主義」のこれまでの思想そのものであり、目新しいものではない。今の岸田政権が「新しい資本主義」を唱えて登場したにもかかわらず、政府の施策を実質的に差配する財政審は少しも変わっていないということである。
 この背景には、コロナ禍の経済活動の停滞もあって国内総生産の伸びが抑制され、国債発行残高が1000兆円を突破し、これを利用した財政制度改革論が再び幅を利かしてきたことがある。
 国民にとっては、消費税が増税され、給与所得者の収入は実質的に下がり、高齢者の年金給付も下げられ、医療や介護サービスの自己負担額が増加し、その上新型コロナ流行とあって消費経済が上向く条件が失われてきたのである。
 しばらく前までは、政府の方針には「豊かな老後」とか「日本型福祉社会の実現」といったスローガンを持ち出すのが常であったが、さすがにそうしたきれいごとは言わなくなった。最近では国民には「負担と給付の不均衡を是正する」、つまり、良いサービスを受けようとするなら応分の自己負担を我慢していただかなくてはならないという、これまで官僚が言いにくかったことを審議会で決めてしまうということが常態になってしまった。
 国民は自分の懐や貯蓄額を考えながら、老後の計画を考えなければならなくなり、不安を抱えながら生活することになる。これでは保健医療支出や文化的支出にまわす余裕は生まれない。必要な保健医療支出を確保しようとしたら、日々の食費をも削ることになるかもしれないのである。
 介護保険サービスの利用料負担も、次回の改定でケアプラン作成サービスの有料化を促す資料が財政審に提出されているのもこの流れなのである。
 ではこうした「不安の老後」の流れを止め、たとえ豊かでなくとも「安心の老後」を確実に担保し実現する道はないのであろうか。それは国民経済を重視する経済学者によって提唱されている「所得再分配機能」に求める以外にはない。その一つの方法が大企業の「内部留保」すなわち当面使い道のない「利益剰余金」への課税である。
 2000年に200兆円弱だった内部留保は今や480兆円を超している。リーマンショックもなんのその、20年間で2.4倍に膨らんでいる。比較でいえば、財政審で常にやり玉に挙げられる国民医療費の伸びはこの20年で1.6倍であり、後期高齢者医療の伸びも同じ1.6倍に過ぎない。
 こうした国民本位の優しい経済への転換こそが「安心の老後」には不可欠であり、来るべき参院選の争点になることを切望する。